Dakar 2004 Daily Report...

Date Liaison Special Liaison Total from Start WithDraw Finishi
01/01 Stage1 REGION D'AUVERGNE > NARBONNE 1 395 396 396 0 195
01/02 Stage2 NARBONNE > CASTELLON 6 25 532 563 959 1 194
01/03 Stage3 CASTELLON > TANGER 4 9 852 865 1824 1 193
01/04 Stage4 TANGER > ER RACHIDIA 233 75 444 752 2576 2 191
01/05 Stage5 ER RACHIDIA > OUARZAZATE 56 337 182 575 3151 13 178
01/06 Stage6 OUARZAZATE > TAN-TAN 176 351 276 803 3954 18 160
01/07 Stage7 TAN-TAN > ATAR 345 701 9 1055 5009 20 140
01/08 Stage8 ATAR > TIDJIKJA 34 355 4 393 5402 35 105
01/09 Stage9 TIDJIKJA > NEMA 3 736 739 6141 26 79
01/10 Stage10 AirPlane NEMA > BAMAKO RaceCancel - -
01/11 Stage11 BAMAKO > BOBO-DIOULASSO RaceCancel 528 528 6669 - -
01/12 RestDay --- RestDay ---
01/13 Stage12 BOBO-DIOULASSO > BAMAKO 85 213 368 666 7335 2 77
01/14 Stage13 BAMAKO > AYOUN EL ALTROUS 230 478 26 734 8069 1 76
01/15 Stage14 AYOUN EL ALTROUS > TIDJIKJA 547 4 551 8620 4 72
01/16 Stage15 TIDJIKJA > NOUAKCHOTT 2 579 70 651 8620 4 68
01/17 Stage16 NOUAKCHOTT > DAKAR 60 191 396 647 9918 2 66
01/18 Stage17 DAKAR > DAKAR 42 27 37 106 10024 1 65
shipping return
1276 4625 4123 10024

LIAISON SPECIALE LIAISON
Depart Depart CP01 CP02 CP03 Arrivee Arrivee
Stage1 13:00:00 21:00:00
Stage2 8:30:00 9:07:30 9:43:42 19:00:00
Stage3 8:30:00 9:19:30 9:27:51 25:00:00
Stage4 7:15:00 10:50:00 11:28:51 11:54:16 17:49:00
Stage5 7:42:30 8:47:30 10:25:55 10:51:35 12:49:21 14:39:23 17:34:00
Stage6 5:32:30 8:37:30 9:26:01 11:25:30 13:42:18 16:56:00
Stage7 1:48:00 8:23:00 10:48:01 14:07:03 17:01:34 17:56:37
Stage8 8:19:30 9:09:30 12:38:57 16:06:53 19:13:49
Stage9 8:05:30 12:23:14 17:01:00 29:25:07
Stage10 Cancel
Stage11 Cancel
RestDay
Stage12 6:11:00 7:46:00 8:26:17 9:08:01 10:35:25 14:56:00
Stage13 4:09:00 8:14:00 10:43:53 13:42:14 16:06:41 17:54:09 18:20:00
Stage14 8:02:30 12:30:29 14:25:59 16:58:58 19:24:28
Stage15 8:10:00 10:42:56 15:08:45 17:14:55 18:33:59 19:34:00
Stage16 7:13:30 8:33:30 10:12:38 12:24:00 12:53:00 18:00:00
Stage17 7:07:30 8:12:30 8:34:22 8:36:00 9:30:00

Stage1 REGION D'AUVERGNE > NARBONNE Special 1km Liaison 395km Total 396km
車検会場内の特設ステージでスタート、その後、近くに作られた特設コースにてプロローグ。この日は大雪となった、まだバイクに慣れていないのでかなり慎重にプロローグを走った。その後のリエゾンは、大雪の為ルート変更となり、バイクの車での輸送がOKになった。バイクを車に積み、後ろの席でぐっすり寝ました。ナルボンヌ近くでバイクを降ろしてその日のゴールへ。ゴールステージでは多くの観客が迎えてくれました。


Stage2 NARBONNE > CASTELLON Liaison 6 km Special 25 km Liaison 532 km Total 563 km
ナルボンヌ近郊の特設コースでSSが行われた。郊外のダートを利用したコース、前日の雨で所々滑りやすくマディーになっている。転倒しないように慎重に走った。後で聞いた話しでは、カーブで止まりきれず崖下に落ちた4輪もいたらしい。SS終了後、近くのアシスタンスパークにてドロドロのバイクを洗車、その後またバイクを車に積んでカステロン(スペイン)へ向かう。カステロンでバイクを降ろして、ゴールへ向かう。


Stage3 CASTELLON > TANGER Liaison 4 km Special 9 km Liaison 852 km Total 865 km

この日のSSは、カステロン近郊のビーチに作られた特設コース。この日の成績は翌日からのアフリカステージのスタート順位となるので、転倒しない程度にアタック。サンドコースと僕のバイク660Rallyの相性が良いようで快適にゴール。近くのガソリンスタンドで洗車をすませ、車にバイクを積んでスペイン最南端のアルジェシラスへと向かった。スタートしてから3日、リエゾンはほとんど車での移動となったのでほとんどバイクに乗っていない。リエゾンを自走も可能だか、ヨーロッパではバイクと体力を温存したほうがよい。結局、ヨーロッパステージでリエゾンを自走するバイクは一台も見なかった。
アルジェシラスでフェリーでアフリカ大陸へと渡った。フェリー出航まで2時間ほど待たされ2時間かけてアフリカ大陸のタンジェに到着、キャンプへと向った。キャンプへ付いたのは夜中1時ぐらいになってしまった。
フェリーの中では、入国審査・両替・夕食を済ませて、ひと眠りしました。モロッコでは高速道路料金とジュース代程度の現地通過が必要です。


Stage4 TANGER > ER RACHIDIA Liaison 233 km Special 75 km Liaison 444 km Total 752 km

キャンプをスタートし、濃い霧がかかった高速道路(転倒していたバイクもいたらしい)を通りSSスタートに到着。スタートを待っている時、A.S.Oのアンヌマリーより、風間さんが足を怪我、命に別状はないと聞きました。まさか風間さんが・・・と信じられないままSSスタート。肩慣らし的なSSで無難にクリア、途中の水没者を出した大きな水溜りでは、手前で止まりあたり見回し観客のみている道路わきを通過。実は観客が立ちはだかり迂回ルートを隠してました。
その後のリエゾンが寒い寒い、アトラス山脈を越えるルートで雪が残ってる。ジャケットの上にジャンバーを着て走る。山道なので日のあるうちにキャンプに着こうと休憩なしで走りました。
この日、TANGERのキャンプから数キロ行った地点のリエゾン内で、風間さんが事故、左足を複雑骨折する重傷を負いリタイヤとなってしまった。


Stage5 ER RACHIDIA > OUARZAZATE Liaison 56 km Special 337 km Liaison 182 km Total 575 km

本格的なSSが始った。フラットダート・サンド・岩場・砂丘・乾河などのセクションが凝縮されたコース。後に聞いた話では、ヨーロッパに近いので各チームがテスト走行に使っているコースらしい。とはいえ、初の本格ステージ+少々激しいセクションもある。なんとなく前回(2年前)のパリダカの記憶が戻ってきた。CP2直後にミスコースして30分ほどのロスタイム。また、とうとう660Rallyで初転倒、幸いダメージは少なかった。
その後のリエゾンは182kmと短めだが、実は山岳ルート。舗装道路であるが高さ30cm位のガードレールのようなものが所々にあるのみ、一歩間違えれば数百メートルの崖を転がることになるので、気が抜けない。今日は早くキャンプに着けると思い急いだが、スピードも上がらずキャンプについたのは日没直前となってしまった。

セロー3人組のPIYOKO隊は、スタックやミスコースなどを繰り返し、ゴールできずにリタイヤとなってしまった。
DRZ400の藤田さんは翌日の明け方ゴールしたものの、極度に衰弱して震えが止まらない状態、ドクターストップもあり翌日はスタートせずにリタイヤとなってしまった。


Stage6 OUARZAZATE > TAN-TAN Liaison 176 km Special 351 km Liaison 276 km Total 803 km
この日は朝が早く、リエゾンではとても寒かった。この日のSSは小石ダートや岩場のルート、岩や窪みが多く危険で気が抜けないコース。約100km地点のスピードが出る丘の上でKTMワークスチームのバイクが破損しコース上に止まっている。激しく前転したようでフロント回りが大破し、ライダーはすでにいない。その後の情報ではNo8サラが大石にぶつかりクラッシュ、肋骨2本を骨折とのこと。
クラッシュしたバイクを見てぞっとした。次は自分の身に起こるかもしれないと、慎重に注意深く走った。夕方17時ごろキャンプに到着、メカニックにバイクを預けて、急いで翌日の準備をする。
翌日のスタートは夜中1時、テントを張り片付ける時間がもったいないので、食堂エリアのテントで寝た。
Stage7 TAN-TAN > ATAR Liaison 345 km Special 701 km Liaison 9 km Total 1055 km

トータル1055kmのステージ。数時間の睡眠の後、午前1時キャンプをスタートし345kmのリエゾン。このリエゾン終わり100kmは西サハラの地雷地帯を通過するダートのルート。リエゾンといえども夜のダートは厳しい、前車が巻き上げる埃、荒れたダート。明け方ようやくリエゾンを終えてSSスタート着いた。体中埃だらけだった。
SS前半は広大な砂漠を全開で走るコース。フラットで広大な砂漠を走るハイスピードコース。途中、服部さん(XR650)と一緒になり並んで走った。服部さんも快適そう。最高で速度150km/hは超えていたと思う。日本では想像出来ない広大なエリアを全開、パリダカの醍醐味を味わうことが出来た。
SS後半はハイスピードセクションが減り、砂丘や小石混じりのダート、嫌いなキャメルグラスの砂丘など。段々と飽きてきて、疲れも出てきた。700kmという距離の長さを改めて痛感すると共に1日に700kmも走らせるなんてパリダカのスケールの大きさを感じる。日のあるうちに着こうとペースを上げて走り、ギリギリ日没前にキャンプ到着。


Stage8 ATAR > TIDJIKJA Liaison 34 km Special 355 km Liaison 4 km Total 393 km
355km今日は短めかとの期待はハズレキャンプに着いたのは日没後の19時、平均時速35km/hと過酷なステージになってしまった。スタート直後40km地点で集団ミスコース、ここは2年前にも集団ミスコースし選手を悩ませた場所、ヘリに誘導されて何とか正規ルートを発見、40分のタイムロス。その後はフカフカのサンドの中に岩がゴロゴロしたセクション、バランスが取れずに岩でハンドルを取られ転倒を繰り返した。この日の転倒は20回ぐらい。
ゴール前15kmで道を見つけられずにミスコース、一度戻って道を探すが見つからない。日が暮れてきたので残り15km道を走らず、GPSを使いCAP走行、道が無い=途中何があるか解らない、案の定、トライアル的なロックセクションや牧場のフェンス、突然あらわれるゴミ棄て用の穴など、障害の多い道のりで、結局、時間がかかり、ゴールには全然違う方向より到着してしまった。
度重なる転倒でバイクの破損も多い。マップケースモータ・サイドカウルなどの破損。この日はマラソンステージなので、メカニックはいない。部品供給もなし。自分で応急処置をするが、マップケースは壊れ手動でマップ巻くことになった。

翌朝になっても、服部さんがキャンプにいない。ゴール手前数キロのところでエンジンを破損し、リタイヤとなってしまったとのこと。


Stage9 TIDJIKJA > NEMA Liaison 3 km Special 736 km Total 739 km
736km 最も厳しいステージとなった。この日トップで到着したNo2シリル・ディプレは「地獄だ! 10時間もバイクに乗って、通常の2倍の距離を走って」とコメントした。この日スタートした全ての選手にとって最も過酷なステージとなっただろう。
736km先のキャンプに付く頃には夜になっているのは確実、日の出ているうちにゴール近くまでをたどり着こうと先を急いだ。しかし、平均速度は50km/h程、結局488kmの第3チェックポイントで日没を迎えてしまった。この日も数回の転倒を繰り替して身体はかなり疲労している、食事はウイダーインゼリーをガソリン給油の時に食べたのみ、水はすでに4リットルは飲んでいる。ここで朗報、明日と明後日のステージがキャンセルらしい。飛行機での移動とのこと、ゆっくり休みながらキャンプに向えばよいとのこと。
残り248km、日没後の暗闇を走らなければならない。HIDで強化したヘッドライトだが、4輪の巻き上げるダストがひどく、近くしか見れない。平均時速20km/hでの走行だった。4輪やカミオンが通過しコースは荒れている。深いわだちに小麦粉のようなダストが浮き、バランスがとれない。転倒を繰り返し、そのうち倒れたバイクを起こす筋肉が切り裂るような痛みがしたきた。30回は転倒しただろう、転倒するたびにバイクを起こす体力が残っているか不安になる。
248/20≒12時間、とりあえず走り続ければ朝までには着くだろうと、気を持ち直して走り続けた。途中、疲れてコース脇に横たわり休憩するが、汗で濡れた身体が冷めると寒くて休んでられない。やっとのことでキャンプに辿り着いた。時間はすでに朝5時を過ぎていた。21時間もバイクに乗るなんて・・・考えもしなかった。パリダカなんてうんざりだ!と思うほどで肉体的にも精神的にもハードで過酷なステージとなった。
この日、田中さんはミスコースからリカバリー出来ず、他の道でゴールに到着。しかし、3つのチェックポイントを不通過となってしまい、審査の結果失格となってしまった。


Stage10 NEMA > MOPTI

***** レースキャンセル *****


2輪は飛行機でバマコへ移動。
第10・11ステージのレースはキャンセルとなった。理由は治安の悪いマリのモプティ周辺に強盗団や誘拐団が集結しているとの情報が入り、危険回避の為の判断とのこと。


Stage11 MOPTI > BOBO-DIOULASSO Liaison 528 km Total 528 km

***** レースキャンセル *****

バマコからリエゾンでボボデュラッソに移動525km。
南下するにつれて、気温も上がり、湿度も少々増してきた。厚いのでジャケット開けて風通しを良くして走る。モーリタニアとはガラット変わり、ブラックアフリカが広がる。驚いたのは頭上にかごを乗せて荷物を運ぶ女性、その上、両手に荷物を抱えて、小走りで目の前を横断していった。


----- RestDay -----
休息日、久しぶりのシャワーを浴び、汚れたウェアやヘルメットの掃除など、ゆっくりとした時間を過ごして身体を休める。海外青年協力隊の人達とも食事をともにした。異国の地で大変だか、ゆっくりとした時間が流れ、意外に楽しく過ごしているとのことだった。


Stage12 BOBO-DIOULASSO > BAMAKO Liaison 85 km Special 213 km Liaison 368 km Total 666 km
後半戦、最初のステージ。213kmの赤土のフラットダートのハイスピードコース。前車の巻き上げる砂埃の中を走り、所々にクレパスや窪みがあり、ハイスピードながらも気の抜けないコースだった。途中、チームメイトのNo48ビリーが転倒しストップしていた。ギャップで転倒し肩甲骨を骨折したらしい。
キャンプには15時着、ラリー中この時間にキャンプに着けたのはこの日だけだった。
今回始めて、GPSを使用したスピードチェックが行われた。村を通過するときなどには安全の為、30km/hの制限速度が設定されている。GPSでスピードチェックポイントでの速度を記録し、ゴール後にチェックするというシステム。やってしまいました、チェック画面をみると、35/38/35/50/55/58などなど冷や汗ものでした。しかし、なぜかペナルティー対象にはならず、一安心。


Stage13 BAMAKO > AYOUN EL ALTROUS Liaison 230 km Special 478 km Liaison 26 km Total 734 km

マリからモーリタニアへと戻るコース、2本の轍がひたすら続くサンドの一本道でずっと同じ光景が続く単調なコース、疲れる上に面白くない、だんだんと嫌気が差してくる。ステージ後半、リアサスペンションの動きがおかしい、ショックアブゾーバからオイルが漏れて、ショックを吸収できなくなってしまった。リアサスペンションがスプリングのみになってしまい、ウサギのように跳ねる。ゴールまで約100kmそのまま、慎重にゆっくり走った。つまらないコースなのでこの方が楽しく走れた気がする。
夕暮れ前にキャンプへ到着、バイクをメカニックに預けサスペンションを新品に交換してもらう。翌日はマラソンステージなのでタイヤも交換。


Stage14 AYOUN EL ALTROUS > TIDJIKJA Special 547 km Liaison 4 km Total 551 km
第14・15ステージはメカニックのサポートが無いマラソンステージ、バイクを壊さないようしなければならない。しかし、こんな時に限ってやってしまうもの、溝にフロントをとられクラッシュ、メータ周りを破損してしまった。マップケースの向きが曲り、ケース自体が歪んでしまった。また、オイルラインにショックが加わりエンジンオイルが漏れている。とりあえず、その場でしばらく修理して何とか走行可能な状態になった。しかし、しばらく走るうちに歪んだマップケースが動かなくなった手動でなんとかごまかす。2回ほどミスコースしてしまった。
ステージ始めでのクラッシュとミスコースで大きく出遅れてしまう。ゴール手前20kmで日が暮れてしまい、苦手な夜間走行となってしまった。あいかわらず何度か転倒しゴールした。トラブルはあったものの、この日のコースは魅力的な光景が広がる楽しいコースだった。
キャンプ地チジクジャ、今回も前回2002年パリダカでも、ここへのゴールはいつも夜になってしまう。深い砂丘に囲まれた町で、舗装道路が無い為、アシスタンスカーが来る事が出来ずにマラソンステージとなる。チジクジャ周辺はキャメルグラスが多いことでも知られ選手を苦しめるステージが多い。


Stage15 TIDJIKJA > NOUAKCHOTT Liaison 2 km Special 579 km Liaison 70 km Total 651 km
最後の難所となる第15ステージ。今回モーリタニアでは天気悪い、平年だと晴天が続くはずだか曇りが多く雨も降った。前日の雨で砂が湿っている。そのため、ワダチが深く残ってフロントが取られやすく走りづらいコースだった。スタートしてすぐ1度目の転倒、その後、ワダチを避けて走行中、突然の石に跳ねられ2度目の転倒。前日破損したマップケースが手動でも全く動かなくなった距離計(ICO)もセンサー破損のため使用出来ず残るはGPSのみ。その為、この日はずっと前車のワダチを追いかけて走ったのだが、これが思ったより調子よくミスコースも無く日没前にゴール。砂丘もありハイスピードセクションもあり、ロケーションのよい楽しめるコースだった。
転倒は痛い、胸を打つとしばらく息が出来ないこともある、肩をぶつけて鎖骨の靭帯も両肩とも痛めてしまった、プロテクターを着けていても擦り傷は絶えない。頭から地面に突っ込むこともある、ヘルメットを着用しているがやはり痛い、頭の中で星が回ることもある。そして転んだからにはバイクを起こさなければならない、これがまた大変で、怪我の痛みを堪えて、つま先から手のひらまでの全身を使い起こす。ときには、途中まで起こしたが力尽きてまた倒してしまうこともある。


Stage16 NOUAKCHOTT > DAKAR Liaison 60 km Special 191 km Liaison 396 km Total 647 km

最後の本格的なSS、広大な草原を走り抜けるコース。この日はNoGPSステージとなりGPSの使用が禁止されるステージ。2002年と同じコースだか前回はGPSを使用してチェックポイントまで直線的に走った。しかし、今回はそれが出来ない。ピストを走り正確なナビゲーションが必要、深いわだちで出来たピストは走りづらく体力を消耗する。疲れもピークに達していたので、ピストを避けて走った。こんな感じで予想以上に時間が掛かってしまったが無事ゴール。ダカールまで396kmのリエゾンとなる。
国境を超えセネガルに入り、暑くなってきた。長距離のリエゾンは睡魔との闘い。ガムを噛み眠気を覚ました。ダカールに近づくにつれ交通事情が悪化してきた。乗り合いバスや馬車、飛び出してくる車や歩行者、最後まで気が抜けない。18時ごろようやくダカールのパークフェルメのあるメリディアンホテルに到着した。


Stage17 DAKAR > DAKAR Liaison 42 km Special 27 km Liaison 37 km Total 106 km
最終ステージ、メリディアンから海岸沿いのラックローズへのリエゾンの後、ラックローズをスタートしてピーチを走る27kmのSS。パリダカ名物の一斉スタートではなく、いつも通りの1台つづのスタートだった。SS後メリディアンへと戻り、多くの観客が声援を送る中、特設のポディウムに登りゴールとなった。

ポディウムから降りたあと、厳しいステージを一緒に走ったライダーやチームメイト・夜中までサポートしてくれたメカニック・ASOのスタッフ・プレススタッフなど、言葉は通じないがお互いのゴールを祝い、喜びを分ち合い、時間が過ぎた。
18日間 1万kmに及ぶ厳しいレース、一言で言うと「疲れた〜」、次の言葉は「やっと終わった」、と言った感じで、そのときはゴールの感動よりも「やっと終わって、ひと安心」といったところでした。他のライダー達のゴールを喜ぶ言葉のなかには、「やっと寝れる」「これを最初で最後のパリダカにするよ」とか「しばらくバイクは見たくない」などの苦労した言葉や、「これが本当のダカールだ」などの言葉もありました。


Next Day of the GOAL
ダカールの港へバイクを運び、パリ行きのコンテナにバイクを預けた。夕方、日本大使館公邸での新年祝賀会に参加。久しぶりの日本食を食べることが出来た。
その後、ダカール空港からパリへと向かい日本への帰路に着いた。


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